日記3

 こんにちは。日記を書きます。普段はパソコンをカタカタやりながら日記を書いていますが、先日noteの記事をスマホで打ってみたら思いのほかすらすらと書けたので、今回はスマホで書いてみます。ところで、スマホで(パソコンで)書く、という表現は正解なんでしょうか。

 前回の日記にも書いたように、高校の友人と東京旅行に行ってきました。目的はピューロランド。サンリオを好きなのはわたしだけですが、わたしの世界がEテレホビアニマイメロで構成されていた(高校の頃はあまりアイドルに傾倒していなかったのです)頃に友人と、「ピューロ行きたいね〜」なんて何度か話したことがあって、それがやっと実現した形です。学校の宿泊行事を除けば、こんなに長く親以外の人間と一緒にいるのはほぼ初めてです。いろいろ心配になりましたが、「まあ辛くなったら新橋演舞場に行く予習だと思えばいっか!^^」と自分に言い聞かせておきました。ふるあめりかに袖はぬらさじ、楽しみですね!夏休み真っ只中なのでおそらく行けます!楽しみ!(2回目)

 いろいろの心配のひとつに、「東京にいることが辛くならないか」というのがありました。ツイッターでは散々言っておりますが、本命の大学は東京の国公立大学だったのです。進学先は実家から通える範囲の国公立大学です。浪人したのに、本命の大学には進学できませんでした。今年はそもそも受験すらしませんでした。学力的にはそこまで問題がなかった(現役のときは4点差で落ちましたし、進学先と偏差値が同じです)のですが、問題との相性が悪い。試験科目も2科目と少なくて、バランスの良さが強みだったわたしには不向きでした。対して進学先は国数英の3科目が必要で、問題との相性は普通どころかいい方。浪人して現実を見るようになったわたしは、確実に合格するであろう大学を受験しました。

 東京の大学に行きたかったわけではありません。運命の出会いをした大学が東京にあっただけです。それでも、わたしは2022年の4月からは東京でひとり暮らしをするものだと思っていましたし、受験旅行の際に見た東京の景色が忘れられませんでした。

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↑大学に向かう道。メモのために撮った写真が残っていました。白塗りになっているのは母です。

 結果としては、進学先が決まった身で東京に行っても、大して辛くはなりませんでした。2日目に本命の大学の最寄り駅を電車で通過しましたが、聖地巡礼くらいの気持ちでした。受験のときに泊まったホテルの最寄り駅だったらまた違ったかもしれません。が、もう吹っ切れたんだろうなと思います。高校3年生のときよりも、やりたいことの幅が広がって、その分進学先の方がピッタリなのかもな〜とさえ思います。

 そもそもどうして本命の大学に運命を感じたのか。それを書き残して終わろうと思います。というか、ここまでは全てそのための導入です。

 0人のフォロワーの皆さんは、志望校をいつ決めましたか? わたしは高校2年生の夏頃からぼんやりと考えて始めていたのに、冬になってもまったく決まりませんでした。ところが、ある雪の日に久しぶりに劇場版とっとこハム太郎*1を見て「子ども向けだから飽きないようにスピードを重視してる、のか……?」とふと思い、昔からEテレの子ども向け番組が好きだったこともあり、「児童教育」に興味を持ちました。児童教育を学べる大学・学部、というとまず思い浮かぶのは教育学部。しかし、そこそこの進学校で進められるような大学の教育学部は教員養成系ではなく教育学系。なんか違う。じゃあ保育が学べるところに行くか? いやでも、保育はわたしの思っている児童教育とはなんか違うし、保育を学べる大学を提案してみたら担任には「志望校を下げすぎ」と言われるし……。完全に詰んだ。もともと日本語に興味があった*2から、日本語を専攻するのも手かも。民俗学をやるのもあり。そう思って色々な大学(といっても、当時は家を出る気がまったくなかったので、家から通える範囲の国公立大学)のサイトを見てみても、どれもしっくり来ませんでした。f:id:kubisuziitai:20230330142849p:imagef:id:kubisuziitai:20230330142854j:image

↑当時のツイートです。切実だ!

 このツイートを見ていただければ分かると思いますが、日本語や民俗学よりも「幼児教育、児童教育」に気持ちが傾いていきました。いやでも都合のいい大学ないしな〜と考えていた頃、 高校の廊下に先輩方の合格大学が張り出されました。2月の下旬頃だったと記憶していますので、私大と国公立の推薦枠の結果のみ。推薦枠は少ないので当然目立ちます。その中に、部活の先輩の名前をみつけました。大学を見ると「お茶の水女子大学」。推薦で受けたんだ、お茶の水か〜東京の大学だっけ? それくらいの気持ちで通り過ぎて、家に帰ってからなんとなく大学のホームページを開いてみました。文教育学部の、人間社会科学科の、コース一覧。目に飛び込んできたのは「子ども学」の文字。

 子ども学!? 児童教育でも幼児教育でもなく、子ども学!

 この瞬間に心が奪われたといっても過言ではありません。見つけた、わたしの居場所を見つけた。本気でそう思いました。運命だと思いました。ずっとずっと子ども向けの番組が大好きで、周りに同じような子なんていなかったけれど、それでもずっと大好きで。当時はホビアニ*3も好きだったので、「子ども向け」への熱が今まで以上に高まっていました。ここに行けば、好きなものを好きなままでいられる。好きなものをもっと知れるかもしれない。大人になりたくなかったけれど、上手く大人になれるかもしれない。これだ、これしかない。

 実家から通える範囲の大学に行け、と言われていたわけではありませんが、絶対に実家を出てやるぞ!という気持ちもなかったので、大学には実家から通うものだと思っていました。頑張って頑張ってめちゃくちゃ長いLINEを母に送って(返事が怖くて、次の日母が家を出るまでリビングに行けませんでした。が、あっさりした返事ですこし凹みました)、担任の先生にも泣きながら面談で話して、受験生としての生活が、人生が、本格的に始まりました。高校2年生の学年末、春休み直前のことでした。

 とんでもなく一途で、一度これだ!と思ったらもうそれ以外見えなくなる質なので、そこからの成績はもう上がる一方。志望校こそ決まっていなかったものの勉強する習慣はちゃんとあり、もともとの成績も悪くなかったのですが、高校3年生の1年間を通して成績は好調で、三者面談がほとんど座談会でした。もう褒められるために行っていました。途中で「なんか……本当にやりたいことがやれるのか……?」になったこともありましたが、やっぱり「もうわたしには本命しかない(盲目のそれ)」になり、なんだかんだ楽しく過ごしていました。辛い時期ももちろんありましたが、全体的に楽しかったな〜と思えているのは、あの日に本命の大学と運命の出会いを果たしたからだと思います。

 4点差で不合格になり、しまいには嫌がっていた地元の大学に進学することになりましたが、これで正解だったのかなと思います。「大学受験は失敗したけどこれで正解だ」と3月の頭には思っていましたが、今となっては失敗でもないような気がします。去年の秋はまだ気持ちを捨てきれなくて、過去問を解いてみて、でも全然出来なくて2日くらい塞ぎ込んでいましたが、今はもう、めちゃくちゃ元気です。またアイドルを好きになってしまったので、やっぱり東京に行ってた方が(東京の大学に受かってた方が)便利だったよな〜!!!!!!!と思うこともありますが、大学で学びたいことも「児童教育、子ども」という限定的なものから「人間」へと幅を広げたので、少なくとも2年は地元で楽しく過ごすつもりです。児童教育の夢が消えたわけでは全くなく、子どもと教育に関わる仕事がしたいなあという漠然とした思いは今でもずっとあります。いつの日か胸を張って本命の大学と対峙できますように。その日まで頑張ります。

*1:雪の日だったのでオーロラ谷の奇跡を見た、はず……

*2:2020年の夏に放送していた「にほんごであそぼ」のコンサートで野村萬斎先生が仰っていた、「皆さんは若いのです。この国の綺麗な言葉を学んでください(意訳)」ということばに感銘を受けたのです。わたしはこの「皆さん」に含まれていなかったと思いますが……

*3:ホビーアニメシンカリオン遊戯王SEVENSがアツかったです。